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グラン・トリノ
梅田ブルク7のシアター1でクリント・イーストウッド監督・主演の「グラン・トリノ」を見てきました。評判にたがわぬ素晴しい映画でした。
パンフレットには蓮実重彦先生や内田樹先生のような大先生方、木村威夫様や新藤兼人様といった人生の大先輩の皆様の立派な文章が載っていますし、サイトには有象無象の「映画評論家」の皆様の(どちらかといえばどうでもいいような)コメントもいっぱい載っていますので、わたくしごときがもはや付け加えるようなことはもはやないのですけどね。
いい映画を観たいのならぜひご覧いただければと思います。

蛇足を承知であえてネタバレになるようなことを書きますので、映画をご覧になっていない方はまず映画をご覧ください。
映画の基本ストーリーはイーストウッド自身の演じる偏屈なジジイと隣家のアジア系移民の一家の交流をベースにした、イーストウッドおなじみの擬似父子ものです。このあたりの演出は手馴れたもので、安心してみていられます。これが後半、隣人の息子にちょっかいを出してくるギャングスタとの軋轢から急転直下悲劇的な様相を呈してきます。このへヴィな展開はたとえば「ミリオンダラー・ベイビーズ」に似ているように思います。ただ、目には目を歯に歯をで闘う姿勢を見せるイーストウッドが、それゆえより大きな代償を払うこととなり、愛する者のために自らの姿勢を変えなければならないことになる、そう、この映画は少年だけではなく老人の成長譚でもある、というのが感動のポイントであるように思います。
老人は憎悪の連鎖を断ち切るためあえて自ら丸腰で敵の元に赴き、銃弾に貫かれます。このあたりはもちろん911以降の現代の暴力と憎悪の連鎖に対するイーストウッド自身のメッセージでもあるのでしょうが、それ以上に、銃弾に倒れて両腕を大きく開いて倒れたイーストウッドの姿に、人類の罪をすべて自ら背負って死んでいく磔刑のキリストのあからさまなイメージを見て、めまいがしました。こんな映画をつくって、こんな主人公を演じて、もうイーストウッドにこの先はないのではないのかとすら思いました。
陽光あふれる海岸を隣家のアジア系少年が老人から受け継いだ「グラン・トリノ」(=古きよきアメリカの象徴)を走らせる、希望にみちたラストシーンは、イーストウッドが常に過激に(数少ない)本当のアメリカ映画の作り手なんだということをまたしても思い起こさせてくれたのでした。
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テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

【2009/05/10 22:01】 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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