いつだって大変な時代/レインボーヒル
9/24(土)
堀井憲一郎の「いつだって大変な時代」(講談社現代新書)を読んでいる。かなりの部分、僕の実感にぴったりくるのだけど、この時節にかなり思い切ったことなので、うなづいてしまっていいのか、もうちょっと考えなきゃいけないな、と思うくらい。
あとがきより
いや、奥さん、いま大変な時代ですからねえ。
脅しのセリフです。
そういうセリフを、堅気の人がふつうによく使っているというのが、何だかおもしろいのである。だからそこから始めて、いろんな現象を分析してみた。
おれたちは、まじにそんなに神様に選ばれてなくね、そんなにすごい人ではないんじゃね、というだけのことだ。
あっさり言ってしまえば、まあまあ、落ち着いて考えようぜ、ということである。言うのは簡単だけど、でもそう考えるのがなかなかむずかしいんだよな、という話でもある。でもまあ、落ち着いたほうがいい。ペテン師のレトリックで言えば、「まさにいま未曾有の大変な時代」だからこそ、大変な時代じゃないとおもって落ち着いてゆっくりかんがえればいいんでねえか、ということだ。
p.182より
民主党政府も、東京電力の経営陣も、「ちゃんとやってくれなきゃ困るお上」として捉えれば、文句ばかり言っていればすむが、あれを自分がやると想像してしまうと暗澹たる気持ちになるし、いま彼らがやる以上のことが私にはできるとはおもえない。だから「お上は本来ちゃんとやってくれるもの」という幻想を持っていると(これはかなり大きな幻想だとおもう)、本当はきちんとした情報をつかんでいて、将来に対しての予測もしているのに隠蔽してるのだ、という考えに至ってしまう。それは相手を他者だとおもうあまりに過大に評価しすぎてしまっているだけで、結果としては自分の存在の小ささに不満をいだくだけになってしまう。できるのなら、よしたほうがいい。

それまでもぼんやりと違和感を覚えていたのが、この本を読んで以降、特に意識するようになったのは、一部の反原発論者の中に多く見受けられる政治的な言説の使い方について。反原発に利しない(と彼らが考える)言説に対してレッテルを貼って罵倒するやり方がすごくいやなのだ。こういう指摘自体がそういう人たちにとっては「反原発の動きを妨げる」ということになるんだろうな。「反革命」のレッテル貼りに精を出して溢路にはまり込み自滅していった新左翼の歴史から何も学んでいないのだろうか。「政治的な」と表現したけれど、そんな「敵」「味方」の区分を作り出して「敵の敵は味方」「味方の敵は敵」みたいなたたき方をする言説は政治的にも成功しないからやめたほうがいいのにな、と思う。twitterとかネットの議論を眺めていたら目立つだけで、ごく一部のことなのかもしれないけれど。
大変な事態に警鐘を鳴らす人の存在を否定はしないが、大変な時代だと考えることで自分自身が特別な位置にいるかのように錯覚してはいけないなと思う。

Wilcoの新作を買うぞ!!と難波のタワレコに閉店10分前に駆けこんだのだけど、まだ入荷していなかった。
27日入荷とのこと。おあずけ。

帰り道、自転車でいつものように緑地を通り抜ける時、野音の方をまわってみた。
真っ暗でよく見えないのだけど、ゲートからのぞくと飾り付けの旗がはためいているのがぼんやり見えて、それだけでちょっとうれしい。

9/25(日)
秋晴れの気持ちいい日。
お弁当持って家族でレインボー・ヒルに。楽しい1日でした。

帰宅後、家で残ったワインで乾杯。酔っ払って気持ちよくなって、iPodで妻子向けにこないだの京都音博とレインボーの出演者や演奏曲でDJプレイwをしてみました。ハンバート、ふちふな(もちろんFairytale of NY)、くるりサニーデイ、ソガバンから、細野さん、はっびいえんど、再びハンバートからサニーデイ「青春狂走曲」まで。ムッシュの音源がないのが残念。今「ゴロワーズ」は何に入ってるのかな。

らじるでNHK-FMの「ライブビート」二階堂和美を聞きながら寝てしまう。

9/26(月)
寒い。さすがにスーツ出した。
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【2011/09/27 03:57】 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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